桝屋二郎
ますや・じろう◎東京医科大学 精神医学分野 主任教授。東京医科大学病院 メンタルヘルス科 科長。東京医科大学卒業後、同大学で臨床研修医・助手として勤務。神奈川医療少年院の矯正医官、関東医療少年院医務課長、福島大学 子どものメンタルヘルス支援事業推進室 特任教授などを経て現職。
ますや・じろう◎東京医科大学 精神医学分野 主任教授。東京医科大学病院 メンタルヘルス科 科長。東京医科大学卒業後、同大学で臨床研修医・助手として勤務。神奈川医療少年院の矯正医官、関東医療少年院医務課長、福島大学 子どものメンタルヘルス支援事業推進室 特任教授などを経て現職。
いしい・あやか◎東京医科大学 精神医学分野 教授。東京医科大学病院 メンタルヘルス科 こどものこころ診療部門 部門長。東京大学大学院医学系研究科こころの発達医学分野助教、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 知的・発達障害研究部 発達機能研究室長などを経て現職。
やまなか・がく◎東京医科大学 小児科・思春期科学分野 主任教授。東京医科大学病院 小児科・思春期科 科長。東京医科大学医学部卒業後、国立精神・神経センター神経研究所 疾病研究第一部への国内留学などを経て現職。
子どもたちのSOSを先取りする場所―新宿だからこそ集積する知見とエビデンス。
「点」をつなぎ「線」にして、社会課題を治療する試みは子どもと社会の未来への先行投資へとつながる。
子どもが幸せになるためには、
石井礼花
まず親の幸せを考えなければならない
医療イノベーションといえば、新薬や先端医療機器を思い浮かべがちだ。だが、東京医科大学の小児医療が問い直しているのは、医療の「意味」である。病気になる前の段階で、見えにくいSOSを早く拾い、心と体を分けず、家庭や学校、地域まで含めて支える。そうして子どもが将来、病気や孤立に陥る可能性を減らし、本来もっている力を発揮できるようにする。
その効果は、本人や家族の幸福にとどまらず、社会全体の経済にも及ぶ、と東京医科大学病院メンタルヘルス科主任教授の桝屋二郎は語る。
「子どものころに受けた傷は、10年、20年という時間を経て、成人後のうつ病や不安障害として現れることがあり、身体疾患や労働生産性、さらに寿命にまで影響を及ぼすことが明らかになっています。アメリカでは、それによって莫大な経済的損失が生じることもわかってきました。逆に言えば、早期の介入により、その子が将来、本来もっている力を発揮できるようになれば、社会全体にとって計り知れないプラスの価値が生まれるのです」
だが、そんな新たなイノベーションの鍵となる早期介入は、それほど簡単ではない。特に難しいのが、発達特性の問題だ。発達障害のある子どもは、認知や行動のズレから周囲との摩擦が起きやすいことが知られている。早期に発達上の課題をとらえて対策をとる必要があるが、同メンタルヘルス科教授の石井礼花によれば、一口に発達障害と言ってもその現れ方は人によって大きく異なるという。
「精神疾患には血液検査のような指標がなく、症状を一つひとつ見て、一定の基準を超えているかを判断しますが、その線引きは容易ではない。そして診断はサポートや治療と一緒に示す必要があります」
石井はNIRS(近赤外線を用いた光トポグラフィー)やMRIなどの装置を用いて、治療による脳機能/構造の変化を可視化する研究を進める一方、発達障害のある子の親を対象とした「ペアレントトレーニング」(子どものできていないことを叱るのではなく、望ましい行動を見つけ、ほめるなどの具体的な対応方法を親が学ぶプログラム)の実践・普及にも取り組む。これは、世界各国の治療ガイドラインで推奨されている方法だ。
石井は小児科医としてキャリアをスタートし、児童虐待の現場にしばしば遭遇したという。虐待をする親自身が過酷な生育歴をたどり、メンタルヘルス上の問題を抱えている場合も多く認められた。
「親御さんも、子どもとどのようにかかわればいいのかわからず苦しむことがあります。だからこそ、子どもへの適切なかかわり方を学ぶ機会を提供する支援が必要です」
患者自身の理解が、
山中岳
治療戦略にもなるのです
子どもだけでなく、その子を日常的に見守る親にも目を向けるのは小児神経領域も同じだと、小児科・思春期科主任教授の山中岳は話す。
「医療者は病院という『点』でしか子どもを見ることができません。しかし、ご家族はその子を日常という『線』で見ています」
特に幼い子の場合は自分の体調を正確な言葉で訴えることは難しい。乳幼児が心不全を起こしても「胸が苦しい」とは言えず、嘔吐や不機嫌など一見ありふれた症状として現れることがある。発熱なら風邪、嘔吐なら胃腸炎と思われがちだが、その背後に心筋炎や脳疾患といった重い病気が潜んでいる恐れもある。
山中が専門とする小児神経学と、桝屋や石井が担う児童精神医学の境界は、実際の診療では必ずしも明瞭ではない。食欲がない子どもを診て心の不調を疑っていたら、食欲不振の原因となる身体疾患が見つかることもあれば、頭痛や腹痛などの身体症状の背景に心理的なストレスがあることもある。
その境界を象徴するのが、山中が専門外来(小児頭痛外来)で診る片頭痛だ。片頭痛は神経疾患である一方、ストレスや精神的な緊張、睡眠不足、疲労などによって発作が誘発され、症状は生活環境や心理状態に大きく左右される。山中自身、子どものころに片頭痛に悩まされた経験があるからこそ、痛みを訴える子の言葉に耳を傾け、その苦しさを見過ごさない診療を心がけてきた。
「まず、自分に起きている頭痛がどういうものなのかを本人が理解することが大切。そうすることで頭痛への不安や恐怖が和らぎ、症状との付き合い方が変わり、結果として頭痛が改善することもある。患者自身の理解が、コントロール感を取り戻すための治療戦略にもなるのです」
東京医科大学病院では、メンタルヘルス科と小児科・思春期科が毎月合同カンファレンスを開いている。診療科ごとに患者を切り分ければ効率は上がるかもしれないが、目に見えない子どもの異変は、両科の境界にこぼれ落ちやすいからだ。
「お互いで症例を共有し、メンタルヘルス科から小児科へつなぐこともあります。必要ならどちらか一方にすぐ患者を移さず、両科が並行して診療を続けます」(石井)
だが、診療科の境界を超えるだけでは十分ではない。家庭での様子、学校・地域での人間関係など、日常の「線」まで診なければ、子どもの全体像はとらえにくいからだ。桝屋らは、教育委員会や学校、児童相談所、子ども家庭支援センター、療育や相談支援を担う民間事業者、居場所づくりに取り組むNPOなど「面」での連携を進めている。
「支援を必要とする子は急増しており、全員を病院で診るのは現実的ではありません。学校や地域のなかでできる支援のほうが、子どもの回復にとって効果的な場合もあります」(桝屋)
新宿で起きていることを
桝屋二郎
エビデンスにして
社会へ発信する
東京医科大学病院には新宿という立地だからこそ果たせる役割があるという。
「病院の近くには歌舞伎町があり、いわゆる『トー横』周辺に集まる若者が、オーバードーズなどによってしばしば救急搬送されてきます。ただこれは新宿だけの問題ではありません。SNSで地方にいる子どもたちも簡単に都会とつながるようになりました。DMで知り合い、夜行バスや電車で東京まで来て、歌舞伎町でオーバードーズをして運ばれるケースもあります」
新宿は困難が集積する場所であると同時に、日本各地で起きている子どもたちの問題が先端的に現れる場所でもある。
「新宿で起きていることを臨床データとして蓄積し、エビデンスにして社会へ発信する。警鐘を鳴らしたり、政策提言につなげたりすることも大学病院の役割だと考えています」
新薬をひとつ生み出すことだけが医療の革新ではない。医療の意味を「治療の場」から「人生を支え、社会的損失を未然に防ぐための先行投資」へと読み替えること。それこそが、東京医科大学が小児医療にもたらそうとしている「意味のイノベーション」だ。